泡だけで、その間からかすかにさっきまで乗船していた船の船底が見えました。
そうです。私は救命衣を着用していたので浮いておりました。海中に転落し、焦っていたため、そのことをすっかり忘れていたのです。私は今一度、気を取り直し渾身の力を出し、同僚に手を差し出しました。同僚の「焦るな」との一言で体中の力が抜け安心しました。同僚に引き上げられ、うれしいやら、恥ずかしいやら、情けないやら、しばらく放心状態でありました。
同僚に「引き返すぞ」と言われたとき、あらためて助かったんだと実感し、寒さも忘れ、妻と子の顔を思い浮かべていました。
家に着き、妻に「どうしたの」と言われたときは、ただただ涙があふれ出るばかりで、しばらくして妻に話したところ「生きていてよかったね」と元気づけられました。
皆さん、今日私がこの場で発表できたのも救命衣着用のおかげです。全道の漁業協同組合のうち救命衣の常時着用の義務化、または部会等で取り決めているところもありますが、まだまだ十分でないように聞いております。
厚岸漁業協同組合では、平成四年に救命衣着用の義務化を決め、併せて海難防止対策委員会を設置し、組合役職員一丸となって海難防止の諸対策について積極的に活動しております。
終わりに本日ご出席の皆さん、この大会を契横に北海道の浜から海難ゼロを目指そうではありませんか。ご静聴ありがとう。こざいました。

救命衣を着用しなかった当日に遭難

私は、留萌管内の小平漁協で漁船漁業を営んでおります金子と申します。
本日は、第五回漁船海難防止全道大会の海難事故体験発表ということでありますが、幸いにして私自身は海難事故を起こしたことがございませんので、当組合で発生しました海難事故の例を踏まえ、海難防止に対する取り組みについて発表したいと思います。
私は、漁業を営んで十八年になり、(社)日本水難救済会の救難所職員となってからは十四年が経ちますが、その間に私どもの組合では十三件の海難事故があり、六人もの尊い人命が失われました。
その痛ましい海難事故の中でも特に記憶に残る事故は、平成五年の年も押し詰まった十二月二十八日の事故です。
その日は南西の風が強く、前日の天気予報では荒れ模様になるということでしたが、翌日から市場も年末・年始の休みに入ることから、回総トンのその船は親子二人で出漁し、刺し網を揚げ終わり僚船とともに帰港中、折からの南西の風が一層強くなりました。
前方を走っていた僚船が後ろの船の灯りが見えなくなったので、不審に思って船を旋回させて近づいたところ転覆しており、救助しようと試みたが漁具が散乱し、波も高く転覆した船に近づけず、二次遭難の危険性があるため救助を断念し、われわれの所に救助依頼の無線連絡がきたのでした。
連絡を受けた私ども救難所職員は取る物も取りあえず港に行きました。
陸から約七百メートルの肉眼でも確認できる所に、漂流している二人を発見しましたので、必ず救助できるものと確信いたしました。
前ページ 目次へ 次ページ